2010年01月05日

生老病死は、現代においても避けられない

あの世こそが、ほんとうの世界であり、この世は仮の世界にいしかすぎませ

んが、この世は、また、人間が魂修行をするための世界でもあります。


魂が肉体という仮の姿をまとって、自己表現をしているのが、この世界

なのです。


しかし、その肉体も、やがて滅び去ることになっています。

この世での幸福のみを求めても、それは最終的な幸福ではありません。


この世での幸福が、あの世での幸福につながる、そうした幸福を求めて

いくことが大事なのです。


それが 「悟り」 という名の幸福です。

ようするに、 「肉体的な部分、この世的な仮の部分にこだわるかぎり、

最終的な幸福を得ることはできない」 
ということです。


この世はうつろいゆく世の中、「諸行無常」 の世界です。

人間は、いつまでも若く美しいままではいられません。

年をとれば、白髪になり、腰は曲がり、顔にシワができます。


また、やがて病気になって死にます。

「生老病死」 は、2500年前の釈迦の時代も、現代においても、

避けられないのです。



現代の医学は、人間の寿命を延ばそうと努力していますが、やがて、寿命は

尽きるものですし、むしろ、2500年前にはなかったような苦しみを

生んでいるかもしれません。


末期医療の処置では、体にチューブをたくさん差し込まれている姿は、

スパゲッティ症候群、と言われることもありますが、そういう状態で生きる

のは、苦しいことだと思います。



その意味では、「寿命を延ばすために、新たな苦しみが起きている」 と

言えます。



これは、医学自体のなかに、死後の世界を認めず、この世の生存のみが

すべてであるとする考えがあるためです。


この世において、できるだけ幸福に生きようとすることは大事ですが、

一定の限度を超えたときは、あきらめも肝心です。

この世は、次の世界に行くためのステップにすぎないのです。


たとえば、小学校が非常に楽しい世界であったとしても、いつまでも小学生

でいることはできません。


一定の年齢になれば、小学校を卒業して中学にあがらなければいけないの

です。

そのときは、「友達と別れたくない」 と言って泣くかもしれませんが、

親友とも別れて中学校へ上がり、やがて高校、大学へと上がっていきます。


別れは辛いものですが、それを経験しなければ、もう一段、発展することは

できないのです。


この世に生きている人間は、いずれは、死という関門を通って、家族や友人

たちとの別れを経験します。

この世での自分の実績に見合った、次の世界、自分の仲間がいる世界へ

行きます。


それはちょうど、自分の学力に合った中学校や高校、大学に進んでいくよう

なものです。



したがって、あまり別れを惜しんではいけないのです。

そのためには、「諸行無常」 の気持ちを持たなければいかません。






posted by シロクマ at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 肉体の寿命に限りがある理由 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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